親鸞会のブログを テーマ別に分類!
今回は、『歎異抄をひらく』の2部1章の内容を通してお聞かせ頂きました。
各地の様子や、知らされたことなど、皆さんのコメントをお待ちしています。
>> 親鸞会 1月24日(日)テレビ座談会
今回のご縁で知らされたことは、正しい教学の大切さです。それは、
「念仏もうさん」と思い立つ心のおこるとき
は、信一念の体験であり、二種深信(真実信心)がたった時と聞かせて頂いたからです。この大事なところを、自他共に認める親鸞研究の第一人者が「一度の念仏をとなえたとき」と誤りました。
この御文を正しく理解できるのは、高森先生のご教導(正しい教学)によるしかないと、あらためて知らされました。
未来のことは信ずるより仕方がない中、死んでから のことが今ハッキリする信心を教えていただきました。
哲学者が絶対矛盾的と言うのですから、誰も理解でき ない、想像すらつかない信心であることが分かります。
その二種深信を明らかに教えていただき、とても幸せ でした。
二種深信を明らかに説かれたのが「教行信証」であり、 二種深信で歎異抄をひらいていくとお聞きしました。
不思議な信心ですが、これが分からなければ親鸞聖人 の教えは理解できません。
徹底して聞かせていただきます。
「『弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるなり』 と信じて」 の「信じて」は、世間一般で使われている「信じる」とは、 全く違うと教えていただきました。
「明日の天気は晴れだと信ずる」と言う時、 実際は、晴れないかもしれない……という疑いがある。 ハッキリしている昨日の天気について、 「昨日は雨だと信ずる」とは言いません。 「昨日は雨だったと知っている」と言います。
親鸞聖人の言われる「信じて」は、 「疑いの心」がある信心ではなく、 「真知」 「明知」 「深信」 といわれる、ツユチリの疑いなくハッキリ知らされた、 という意味だとお聞きしました。
「信じて」の真意を知らなければ、 『歎異抄』は最初から、全く分からないでしょう。 『歎異抄をひらく』が、 『歎異抄』解説書の決定版といわれる所以を またまた知らされました。
世間一般に使われる「信じる」と、仏教でいう「信じる」が本質的に異なることを知らなければ、「歎異抄」は冒頭から読めないと思いました。
Name
Mail (will not be published)
Website
Submit Comment
本当の親鸞聖人の教えを、正確に、速やかに、一人でも多くの人にお伝えするための集まり、これが浄土真宗親鸞会です。
浄土真宗は、明治以降に急速に廃れ、現在に至っています。 葬式仏教、法事仏教といわれ、正しい親鸞聖人の教えは、今日、まったく伝えられていないのが現状です。
そこで、現在会長の高森顕徹(たかもり・けんてつ)先生が、2、3の同志とともに昭和33年(1958年)に結成されたのが、浄土真宗親鸞会です。
どうすれば本当の親鸞聖人の教えを多くの方々に知っていただけるか。 親鸞会結成の目的は、ただこのこと一つであり、他には何もありません。
現在、富山県射水市の親鸞会館では、毎月、法話や教学講義が設けられています。また、全国各地で、法話や勉強会が設けられております。
詳しい日程をお知りになりたい方は、下記にお問い合わせ下さい。
E-mail:info@shinrankai.or.jp
>> 親鸞会館へのアクセス:お問い合わせ
1月16日(土)は、午後からテレビ座談会が設けられました。 国内外合わせて400箇所以上の場所で、同時に、親鸞聖人...
1月27日は、午後にテレビ座談会が設けられ、国内外に配信されました。 親鸞聖人が教えられた三通りの念仏について、質...
1月3日(日)は、富山県射水市の親鸞会館で、初聞法会がありました。 親鸞聖人の書かれた正信偈の一節、 ...
今回のご縁で知らされたことは、正しい教学の大切さです。それは、
「念仏もうさん」と思い立つ心のおこるとき
は、信一念の体験であり、二種深信(真実信心)がたった時と聞かせて頂いたからです。この大事なところを、自他共に認める親鸞研究の第一人者が「一度の念仏をとなえたとき」と誤りました。
この御文を正しく理解できるのは、高森先生のご教導(正しい教学)によるしかないと、あらためて知らされました。
未来のことは信ずるより仕方がない中、死んでから
のことが今ハッキリする信心を教えていただきました。
哲学者が絶対矛盾的と言うのですから、誰も理解でき
ない、想像すらつかない信心であることが分かります。
その二種深信を明らかに教えていただき、とても幸せ
でした。
二種深信を明らかに説かれたのが「教行信証」であり、
二種深信で歎異抄をひらいていくとお聞きしました。
不思議な信心ですが、これが分からなければ親鸞聖人
の教えは理解できません。
徹底して聞かせていただきます。
「『弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるなり』
と信じて」
の「信じて」は、世間一般で使われている「信じる」とは、
全く違うと教えていただきました。
「明日の天気は晴れだと信ずる」と言う時、
実際は、晴れないかもしれない……という疑いがある。
ハッキリしている昨日の天気について、
「昨日は雨だと信ずる」とは言いません。
「昨日は雨だったと知っている」と言います。
親鸞聖人の言われる「信じて」は、
「疑いの心」がある信心ではなく、
「真知」
「明知」
「深信」
といわれる、ツユチリの疑いなくハッキリ知らされた、
という意味だとお聞きしました。
「信じて」の真意を知らなければ、
『歎異抄』は最初から、全く分からないでしょう。
『歎異抄をひらく』が、
『歎異抄』解説書の決定版といわれる所以を
またまた知らされました。
世間一般に使われる「信じる」と、仏教でいう「信じる」が本質的に異なることを知らなければ、「歎異抄」は冒頭から読めないと思いました。