なぜ親鸞会講師部を決意したのか 岡田 健講師 タスキをつなぐ駅伝ランナーが講師に

人生の苦海を浄土まで渡す大船

 木之本会館の程近く、滋賀県木之本(長浜市)に生を受けました。

真面目な父と優しい母の元、妹と2人、何不自由なく育てられました。

 父の転勤により、幼い頃より引っ越しを重ねておりました。

そのたびに整理整頓が強いられるため、家の中は比較的片付いていて、

郵便番号、住所、電話番号を覚え直さねばならないことを除けば、さほど苦にもならなくなりました。

必ず別れがやってくる

 しかし、引っ越しを重ねるうちに、私に一つの人生観が生まれていました。

いろいろな出会いがあり、その土地その土地で、友人や親友ができる。

「住めば都」といわれるように、どの場所も住み慣れれば、故郷のような懐かしさがありました。

ところが、必ず別れが訪れる。友人も住み慣れた土地も、全ては一時のこと。

そう思うと、何と人生は寂しい所なのかと感じるようになりました。

 

 中学・高校では、陸上部に所属し、長距離ランナーとして、仲間とともに汗を流しました。

長距離種目の花形は、何といっても駅伝です。

日頃、切磋琢磨して競い合う仲間が、一つのタスキでつながる駅伝は、言葉にならぬ高揚を覚えます。

 私の中学は、地元の予選大会ですら、毎年ダントツのビリを走る学校でしたが、

2年の時には、見事予選を突破して駅伝県大会に出場し、

3年生の時にはキャプテンとして再度、県大会を走りました。

高校でも陸上部を続け、多くの仲間に恵まれました。

 

 しかし、周りが盛り上がれば盛り上がるほど見えてくるのは、冷めている自分の心でした。

この楽しみも一時のこと。なまじ踏み込みすぎると、別れがつらくなる。

離れすぎず、されど近づくこともせず。いつからか、微妙な人間関係を保つようになりました。

「岡田は笑ってはいるけど、何だか距離がある気がする」と、言い当ててくる友人もありました。

 

「やはり人生はこうなのか」

 やがて迎えた高校3年生。

私は大学受験に失敗し、1年間浪人することになって、予備校生活が始まりました。

そして、2回目の大学受験を目前に控えたある日、祖父の訃報が飛び込んできました。

 葬儀場の異様な雰囲気に息をのみ、亡骸が納まった棺に泣きつく祖母を見て、再び私の心を覆い尽くした感情がありました。

「ああ、やっぱり人生はこうなのか。結局、最後はこんな終わり方しかないのか」

 私が通っていた予備校から、目と鼻の先。毎日、この葬儀場の前を通っていました。

「今日も誰かの葬式だ。今日もだ」と思っていたのです。

 仏間の遺影に、祖父が収まる日が、ついに来てしまった。私も同じではないか。

人生の結末を目の当たりにし、むなしさを一層深めずにはおれませんでした。

孤独地獄に温かなお慈悲

 何とか大学には合格しましたが、喜びは一瞬で、祖父の死を縁に感じたむなしさ、不安で、心はいっぱいでした。

 そんな私に、声をかけてくる先輩がいました。それが、親鸞聖人のみ教えとの出遇いでした。

そして4月、この二千畳にて初めて、高森先生にお会いすることができたのです。

「難思の弘誓は 難度の海を度する大船」

 苦しみ・悩み・不安に満ちたこの人生を、明るく楽しく渡す大船がある、の断言は、閉ざされた私の心にさし込む光のようでした。

「一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり」

 孤独地獄で苦しむ私に、手を差し伸べてくださる親鸞聖人の温かなお慈悲に、心が震えました。

 この教えしかない。このみ教えに人生を懸けたい。

 1人でも多くの人にお伝えしたい、と私の心は定まりました。

 生涯、親鸞会講師部員として、人生の目的も知らず、孤独にもだえ苦しむすべての人に、本当の幸せを届けたいと思います。