
親鸞会講師 大滝恵利講師
「浄土真宗親鸞会の講師ってどんな人?」と題して、貴重な親鸞会の講師の情報をシリーズでお届けしています。
今回は、親鸞会の大滝恵利講師です。
亡き父と同じ講師として歩み始める
臨終の曽祖母の気迫
「仏法聞かずに死んだらどうする」
寺の跡取り息子ながら親鸞会の講師になった父と、曽祖母の代から熱心な親鸞学徒の家庭に育った母の元、生を受けました。
しかし1年後、父は交通事故で亡くなりました。享年29、私が1歳の誕生日のことでした。
その後、母が再婚し、妹も生まれ、一見、幸せそうな普通の家庭でしたが、
幼い私の胸には、いつも寂しさと疑問が付きまとっていました。
「なぜ私には、本当のお父さんがいないの。どうして死んじゃったの」
誰にも訴えられない悩みを抱えていたのです。
そんな私を人一倍かわいがってくれたのは、曽祖母でした。
「仏法聞けよ。それしかないからな」
「おまえのお父さんは、仏法に命を懸けた人やった。おまえもそうなるんやぞ」
これ以外に、曽祖母から聞いた言葉はありません。
しかし、成長とともに増大する寂しさと疑問は、次第に、
「仏法に命を懸けたから、父は亡くなったんだ」という思いに変わっていきました。
そして、忘れもしない小学6年の春の「地下鉄サリン事件」。
あんな凶悪犯罪を生む宗教とは何と恐ろしいものか、と完全に宗教嫌いになった私は、
親鸞聖人のみ教えを熱心に求める父や母と、距離を置くようになっていきました。
幸せなフリする空虚な心
「私は宗教なんかに頼らず、自分の力で幸せになる!」
そう決めた私は、日曜は聴聞に行かず、家に残り、勉強や部活動、友達との遊びに一生懸命になりました。
ところが、最初こそ解放感を味わったものの、思い描いた喜びはなく、言いようのないむなしさに襲われるのです。
それをかき消すように騒ぎ、楽しむことに必死になればなるほど、
「本当は楽しくもないのに、幸せそうなふりをしているだけの自分」が知らされ、
「幸せとは何か」という疑問が湧き起こってくるのでした。
ともかくも、いい高校、いい大学へ行くことが幸せの第一歩、と受験勉強にいそしんでいた中3の冬、
「曽祖母が危篤」の知らせが届いたのです。
久しぶりに会った曽祖母は、全身を管でつながれ、臨終を迎えようとしていました。
骨と皮だけの体で必死に何かを伝えようとする曽祖母に、
「おばあちゃん、大丈夫?もうしゃべらなくていいから……」と手を取った私に、驚くような力で握り返してきたのです。
「大丈夫じゃないのはおまえや!わしが死んでも、一息切れた先は、阿弥陀さまのお浄土や。わしの心配なんかせんでいい。
でも、おまえは、仏法聞かずに死んだら、地獄なんだぞ!頼むから仏法聞いてくれ。最後の頼みや」
と一喝したのです。
「分かった、分かったから。仏法聞くから」
それが、最後の会話となりました。
仏法聞くために生まれた
高校受験を控えていた私は、葬式にも出ず、奈良へ帰るバスの中で、最後の言葉を思い出していました。
誰が見ても、瀕死の曽祖母と未来ある15歳の少女では、大丈夫じゃないのが曽祖母で、私は大丈夫なはず。
なのになぜ、あれほどまでに私を哀れみ、心配するのか。
疑問に思いながらも、「まずは受験」と勉強し、無事、第一志望校に合格しました。
転機が訪れたのは、高校1年の夏でした。
「ロサンゼルスのご法話に行ってこない?」の母の勧めで、3年ぶりに聞法できたのです。
演題は「なぜ仏教を聞かねばならないのか」。
私がずっと知りたかった疑問でした。
そして、高森先生はご説法の最後に、
「なぜ仏教を聞かねばならないのか、ではないのです。仏法を聞くために生まれてきたのです」と静かに仰ったのです。
「えっ、どういうこと?」
自分の疑問が根底から覆され、「この意味が分かるまでは仏法聞こう」と聞法するようになりました。
聴聞を重ね、少しずつ理解し始めた高3の冬、今度は「祖母、危篤」の知らせが届きました。
頭もよく、いろんなものに恵まれて、私には憧れの人でしたが、
ベッドの上ではそんな面影は全くなく、後生の不安に泣き苦しむ姿に、愕然としました。
この世70年か80年、人も羨む立派で幸せな生き方ができたとしても、最期にこんな姿に変わり果てねばならぬとは、何と哀れなのか……。
同時に、仏法に生かされた曽祖母は、大宇宙一の幸せ者だと喜び、私の後生一つを案じてくれていた。
仏法には何と凄いことが教えられているのか。
大切な家族を3人も失いましたが、それぞれ姿にかけて無常を教えてくれました。
後生の一大事とその解決は仏法にのみあることを、知らされた私から、全人類に伝えねばならない。
「父と同じ、親鸞会講師部の道に生涯を懸けよう」と心は定まりました。
「なぜ生きる」の答えを全ての人にお伝えしていきます。