過労死問題を考える 過剰に駆り立てられてしまう4つの罠とその対策

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 電通過労死事件をきっかけに、企業の過酷な労働環境の実態に厳しい目が向けられるようになりました。  

一方で、過酷な労働には見落とされている問題があります。  
それは、労働者側がもつ心理的な思い込みドライバー(過剰に駆り立てるもの)」の問題です。  

今日は、その典型的な4つのパターンをお伝えします。  



なぜ会社に居続けなければならなかったのか?


過労死」= 過労で死ぬこと。 嫌な言葉です。 

 しかも「過労死」は 英語でも「karoshi」。 
まさに「日本社会が抱える典型的な問題」と言っても過言ではありません。  
なぜ過労死は起きてしまうのでしょう。 

 長時間の労働を強いる会社側の責任は言うまでもありません。 
 同時に、悲しいニュースを聞くたびに、こんな疑問を抱く人もいるのではないでしょうか。 

なぜその会社に居続けなければならなかったのか?」という疑問です。 

 平成26年の総務省統計局のデータによると、日本の企業数は409万にのぼります。 
 その中のたった1社を選んで、仕事をしているわけです。409万社すべてがブラック企業ではありません。  

 なのになぜ、その会社に居続けなければならなかったのでしょうか。

過剰に駆り立てられる4つのパターン



 知人のカウンセラーが、次のようなことを教えてくれました。  

「真面目な人ほど、自分を苦しめる思い込みを持っている。 
 苦しいのにやめられない、自分を過剰に駆り立てるものがあるんだ。 
 それを心理学用語で『ドライバー』というんだよ。」
と。  

 そして具体的に、ドライバー4つ、解説してもらいました。  

①「完全であれ」 

 完璧なときだけが成功。 
 間違いがあってはならない。

(具体例)

 中間報告会での発表。同期の仲間からは、「いい発表だった」 
「今回の発表で、上司の評価も上がったんじゃないか」と言葉をかけてもらった。 
 しかし上司からは「方向性はいい。だが、○○の部分と、△△の部分は、検討の必要がある」と言われた。 
完璧だと思ったのに、ダメ出しをされてしまった。間違ってばかりだ。これではダメだ。  


②「努力せよ」  

 行動するのは、チャレンジしたいからではない。 
 とにかく一生懸命がんばる。

(具体例)

 新しい仕事を任された。正直、自分が望んでいたような仕事ではない。 
それでも、自分が任されたのだから、とにかく一生懸命にやらなければ。 
 休み時間も返上、上司からは「そんなに肩に力を入れなくてもいいよ」と言われたが、そんなのはきっと慰めの言葉だろう。今日も残業だ。 


③「人を喜ばせよ」  

 相手に喜ばれるときだけ認められる。 
 相手が喜ばないことは、やってはいけない。


(具体例)

 最近、胃腸の調子が悪い。「この仕事をやってくれないか。」と言われると、どうしても断ることができない。 
 自分がやらなければ、ほかにやる人がいない。「やります。」と引き受ければ、「よかった。じゃあ頼む。」と喜んでもらえる。正直、手一杯だが、断れば相手はがっかりするだろう。 
 相手の喜ばないことは、自分にはできない。  


④「強くあれ」  

 こんなことで弱音を吐いてはいけない。 
 感情は抑えて、強くあらねばならない。

(具体例)

 最近、周囲の評価が悪い気がする。ミーティングにも私は呼ばれなかった。もうダメかもしれない。いやいや、こんなことで弱音を吐いてはいけない。 
 弱気な感情は抑えて、できる自分を見せていかなければ、もっと評価が下がってしまう。強くあらねばならない。  


 ─────────────────────  

 このような思い込みが積み重なることによって、「今の自分ではダメだ。もっと一生懸命がんばって、認められるように、完璧にならねばならない」と駆り立てられるそうです。  

 そして、辞めることができず、休むこともできないまま、どうしても会社に居続けなければならない状況が起きる、と教えてもらいました。  

ドライバーをゆるめる「許可することば」



 いかがでしょう。私もよくあてはまるので、ドキッとしました。 

 そこで今度は、ドライバーをゆるめる方法を本で調べてみました。 
 許可することばに置き換えるといいそうです。  



「完全であれ」・・・今のあなたで十分いいよ。  

「努力せよ」・・・できるところからやり始めよう。  

「人を喜ばせよ」・・・自分を喜ばせてもいいよ。  

「強くあれ」・・・オープンであり自分の欲求を表現しよう。  

(阿部朋子(2013)『ギスギスした人間関係をまーるくする心理学~エリック・バーンのTA~』西日本出版社)  


 先ほどの具体例にあてはめると、置き換えた後は、このようになるでしょう。  

①「完全であれ」・・・今のあなたは、じゅうぶんいいよ。

(置き換え後)

 中間報告会での発表。今できる精一杯をやれた と思う。 
 同期の仲間からも褒めてもらえた。上司からも、方向性がいいと言ってもらえた。 
 時間がない中で、よくできたと思う。今後の具体的な検討部分も提示してもらえたから、これからやることがはっきりした。今のわたしは、じゅうぶんいい。  


②「努力せよ」・・・今できるところからやり始めよう。

(置き換え後)

 新しい仕事を任された。新しいことは、暗中模索だから、形がイメージできるようになるまでは、時間がかかるものだ。 
 慣れてくれば、かならず徐々に正確にできるようになる。 
 上司や仲間に相談しながら、今できることからやってみよう。  




③「人を喜ばせよ」・・・自 分を喜ばせてもいいよ。

(置き換え後)

最近、胃腸の調子が悪い。このところ仕事が立て込んでいたからだろう。もう一つ仕事を依頼されたが、正直、今は手一杯なので、相談して断った。 
 相手はがっかりした顔をしていたが、「わかった、またの機会に頼む」と言ってくれた。ちょうど取り組んでいた仕事に区切りがついたので、数日休暇をとろう。自分を喜ばせてもいい。  


④「強くあれ」・・・オープンであり自分の欲求を表現しよう。

(置き換え後)

最近、周囲の評価が悪い気がする。ミーティングにも私は呼ばれなかった。なにか理由があったのだろう。モヤモヤガ残ったので、同僚に「どうも最近うまくいかない。周囲の評価も悪い気がする。」と打ち明けてみた。 
 すると「近々、退職する人がいて、みんなで穴埋めをしなければならないんだ。気を遣う余裕がないのかもしれないね。」と言われた。ミーティングは、人数が多くなると意見がまとまらないので、最小限にしたようだ。思い切って話してよかった。これからもオープンに、自分の欲求を表現しよう。  


 ─────────────────────  


 このように言い換えてみると、ほっとする感じがします。

 普段から、許可することばを自分にかけていたら、追い詰められる前に、対処できる可能性が高まるのではないかと思います。  

仏教を学ぶようになってドライバーから解放されました 



 そうはいっても「なかなか自分に許可できない」「それができれば苦労はしないよ」と、おっしゃる方もあるかもしれません。私もそうでした。  

「完全であれ」「努力せよ」「人を喜ばせよ」「強くあれ」と思わずにいられないのは、裏をかえせば、そうでなければ「存在価値がない」と根底に思っているからではないでしょうか。  

 仏教では、「このような人は存在価値がない」という差別なく、「すべての人は存在価値がある」と教えられています。  

 なぜならば「才能や能力にかかわらず、誰もが幸せになれる」ことを明示されているからです。  

 親鸞聖人の言葉に、 

弥陀の本願(みだのほんがん)には 
  老少善悪(ろうしょうぜんまく)の人をえらばず

                『歎異抄(たんにしょう)』  

という一節があります。  

 老いも若きも、善人も悪人も、すべての人が平等に幸せになれることを教えられた言葉です。  

 この仏教を学ぶようになって、「私は私のままで、幸せになれる」「私には存在価値がある」と知り、ドライバー(過剰に駆り立てられる気持ち)から解放されました。  

 自分を追い詰めていると感じたなら、ぜひ仏教を学んでみてください。 
 きっと、心が軽くなりますよ。




情報提供 浄土真宗親鸞会 月見草



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