「なぜ人を殺してはいけないのか」に答えられる水準とは? 「幸せ」と「本当の幸せ」の違い(番外編)

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なぜ人を殺してはならないのか 3つの回答水準」が哲学者から示されました。  

単に「駄目だから駄目」では通用しない昨今、人を殺してはならないと答えらえる水準とはどういう水準なのかを知ることが、自分の命の大切さを知ることになります。 

そしてそれは「本当の幸せ」の答えを知る鍵ともなるのです。 

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「幸せ」と「本当の幸せ」の違いについてシリーズでお話ししています。  



『なぜ生きる』の答えをズバリ漢字二字でいうとどうなる? 心理学でも哲学でも共通した答え
「なぜ生きるのか?」これは3000年の古から人に問われてきました。   「なぜ生きる」とは、     なんのために生まれてきたのか、  なんのために生きているのか、  なぜ生きねばならぬのか、  人生の目的とはなんぞや     という問題です。    とても大切なことなのですが、「忙しい忙しい」と走り回っているとき、この問題は忘れがちです
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心理学者が警告 幸せに関する最も多い間違いとは? ~「幸せ」と「本当の幸せ」の違い(2)~
「幸せ」と「本当の幸せ」の違いを知らないと、何をしていても心からの安心、満足が得られないといわれます。「幸せ」と「本当の幸せ」の2つの違いについて学んでみませんか?


前回、「『死んだら無になるに決まってる』という人が見落としていること」と題した記事を書きました。  

「死んだら無になるに決まってる」という人が見落としていること 「幸せ」と「本当の幸せ」の違い(3)
「死後はない」と断言する人に、現代哲学者がするどく切り込みます。しかも、それは仏教で教えていることと一致しているようです。どんなことが論じられているのでしょう?

つまり、「本当の幸せ」を考えるとき、どうしても避けられないのが「生と死」というレベルの問題です。  

本当の幸せを知る上で大事な「生と死」の問題



人間、生まれたからには死ぬのが定めですから、この問題に目をふさいでいては、いつまでたっても本当の幸せは分からないのですね。  

そして現代、様々な場面で「生と死」に関することが論じられています。  

例えば、  

人を殺してみたかった」「誰でもよかった」  

という猟奇殺人事件がおきた時、しばしば話題になるのが  


なぜ人を殺してはいけないのか」  


という問いです。  


この時、  

「ダメに決まってる」  

「ダメだからダメ」  

「お前も殺されたくないだろう」  

と多くの人が答えますが、どうもこれでは納得いかないようです。  


ネット上では、  

最近、殺人願望が強くなってきた。自分でも怖い。どうすればいいだろう?」  

とか、  

僕は一度でいいから、死体が見てみたい。怖い物見たさ、でしょうか」  

など、赤裸々に心の内が語られることもあります。  

なぜ人を殺してはならないのか、3つの回答水準




以前、哲学者の永井均教授が  

なぜ人を殺してはならないのか、3つの回答水準」  

について語っていた記事が新聞に載っていました。  

以下が、その「3つの回答水準」です。  

1.道徳的水準:

「ダメなものはダメだ」とげんこつを食らわせる  

2.社会科学的水準:

「殺したら自分も殺されるでしょ? 自分が殺されたくないなら殺してはいけない」と社会のルールの起源を説明する  

3.哲学的水準:

なぜ生命は尊厳なのか、という哲学的な問いの水準  


先に書きましたように、「1」「2」の説明では不十分で、最終的には哲学的な問いとなるのです。  


ところが残念なことに、現代の日本ではほとんどこの教育がなされておらず、「哲学」と聞いただけで頭が痛くなる人が多いようです。  


死を教えぬ教育は弱い



読売新聞でも  

「なぜ人を殺してはいけないのか」という特集が組まれ、  

その中で、宗教学者の山折哲雄氏が、  

死を教えぬ教育 弱い」  

という見出しで、日本の教育では死とは何かを教えない、と苦言を呈し、  


この根本的な問題をないがしろにしたまま、今、道徳を教科化しても、効果はないと思う」  


と語っていました。  


海外で死の準備教育は小学生から行われている



死の準備教育デス・エデュケーション)」は若者にこそ必要とされ、アメリカ・イギリス・ドイツでは小学生時代からおこなわれています。  


哲学者、鷲田清一氏は、著『死なないでいる理由』に、こう書いています。  




「哲学を生んだヨーロッパの多くの国では、  

 日本の高校生ぐらいから哲学を教えています。  

 フランスでは、文系の高校三年生で週9時間の哲学の授業があります。  

 理系に進む生徒ですら週3時間の授業です。  

 (中略)  

 どの市民も、幸福とは何か、よい政治とは何かを頭で考えて、  

 それなりの考えをもち、それを言葉で表現できるような訓練を、  

 高校生のころからしてきているのです。  



 さらに、高級官僚になるための大学院では、かならず哲学の論文を書くことになっています。  

 官僚は、市民生活のすべてのことがらに関与するひとですから、  

 法とは何か、政治とは何か、生きることの意味は何か、  

 人間の幸福とは何かなどについての基本的な考え方、  

 フィロソフィー(哲学)をもたないことにはつとまらないという考えがあるからです。


  (『死なないでいる理由』鷲田清一 小学館)  



本当の幸せを考える上でとても大事な「生と死」の問題。  

仏教では「生死の一大事(しょうじのいちだいじ)」と教えられ、これをもっとも大事な問題ととらえています。  

そして、言葉遊びではなく、単なる耳障りのいい「おはなし」ではなく、全身に血が流れている生きた人間が本当の幸せになれる道が示されています。  

この問題の大切さを知っていただきたいと思わずにはおれません。  


このシリーズは、まだ続きます。  





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