団塊世代の悩み「さらさらと 握れば指のあひだより落つ」 暗い心の正体と希望の灯を見つけるまでの心の旅路

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こんにちわ。 クロヨンです。 
一生懸命生きてきて、ふと振り返った時、自分の人生、本当にこれでよかったのか?と当惑する瞬間があると思います。 
でもそれは、決してネガティブなことではなく、本当の幸せに向かう人生の大事な分岐点なのかもしれません。 
団塊世代の真ん中を駆け抜けた倉木さんもそんな一人でした。  

戦後間もない空前のベビーブーム(昭和22年~24年)に生まれた団塊世代の人々は、戦前と異なる自由な価値観の中で育ちました。 
その団塊世代が社会に飛び出したのは昭和40年代。古い社会に反抗し、変革しようとする熱い空気が世の中に満ちていたものです。 
宮崎県の総合病院の看護師で、フロアマネジャーを務める倉木純子さん(68)の青春時代も、まさにその渦中にありました。 
「じっとしていられない。だれもがそんな感じでした。その情熱が、よりよい社会の実現、という方向に一斉に向かった時代でもあったと思います」 
当時を振り返り、「でも、あんなに盛り上がった社会運動が、潮が引くように消えたのも、結局、人間の〃心の問題〃にあったことが、仏教を学んで知らされたんです」と教えてくれました。  

以下、倉木さんへのインタビューをまとめたものです。  

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夜勤改善に大勝利。しかし、みなが歓喜する中、心は……



原子力空母エンタープライズの佐世保寄港阻止闘争で幕開けた昭和43年。当時看護学生だった倉木さんは、そのデモに宮崎から駆けつけた。 
港には数万人が集結し、機動隊と激突、160人を超える重軽傷者を出した。  
小雨の降る中傘もささず、倉木さんも爆撃機を満載した空母に向かい、声を涸らしてシュプレヒコールを繰り返していた。  

宮崎県立病院に勤務したその年は、2・8(ニッパチ)闘争と呼ばれる、看護師の夜勤改善を求める全国的な闘争の真っ最中だった。 
当時は日勤のほか、準夜勤(夕方4時半~夜1時)、深夜勤(夜0時30分~朝9時)が月15回を超え、看護師はどこも深刻な人手不足だった。  
学校で習う理想の看護と現実はあまりにも懸け離れ、病院をよくしたい一心で、組合を先導していた共産党にも加入。 
「看護師増員を求め、夜勤明けのそのまま、大勢で県庁に座り込んだり、ビラ配りやポスター張りと駆け回っていました。2、3時間しか寝ていないこともざらでした」 
粘り強い闘争の末、昭和44年6月、県が270名の増員を約束。病院の集会室に集まった全職員は、その報告に沸き返った。  
「大勝利だ。すごいね!」  
「頑張ったね」。感極まって抱き合う友たちの輪の外で、なぜかその空気に溶け込めないでいる自分がいた。

あれ?って思ったんです。あんなに頑張ってきたのに、いざ達成した瞬間、あるはずの感動とか高揚感みたいなものがスルッと抜けて何も残らないのです。心にポッカリ風穴が開いたみたいな……」  

やがて党派間の内ゲバや、連合赤軍の浅間山荘事件を境に各地の反戦、反権力闘争は一気に沈静化。 
熱に浮かされたような時代は潮が引くようにして終わりを告げた。  

「当時の多くの若者と同じように、私もまた革命運動に幻滅を感じたのです。そこには何か間違ったもの、正しくないものが含まれている。そういう気がしました。  
結局、あの激しい嵐が吹き去ったあと、私たちの心に残されたのは、後味の悪い失望感だけだったのです。  
どれだけそこに〃正しい〃スローガンがあり、使命があっても、その正義や使命感を支え切るだけの徳というか、モラルの力のようなものがなければ、ついていけないと感ずるようになったんです」  

こんな心を抱えたまま組合活動を続けても、心から満足することはないのでは?そう思うと、今までの〃自己犠牲的〃な生き方がむなしくなり、29歳で党を離れた。 

欠けた何かを埋めようと、旅行や趣味に奔走すれど



今度は欠けた何かを埋め合わせるように、自己啓発の研修をはしごし、エジプトやローマを旅し、ヨガやジャズダンス、日舞など興味を持ったものに何でも打ち込んでみた。  
入院したタイの大学生と親しくなり、その縁で多くの留学生とも知り合った。マンションで、数カ国の学生とパーティーを開くなど、倉木さんの周りはいつもにぎやかだった。  

「でも、明るくもてなしながら心は空っぽで、友だちに与えられるものがない。このむなしい心をどうしたらいいかと、途方に暮れていたのです」  

40代となり、人生の折返地点に来ると、  
「知力・体力とも下り坂。人生の峠を下るその先に見えるのは〃墓場〃です。これから墓場まで歩いていく人生とは何なのだろう?そう思うと、どうしていいか分からなくて」  
一生懸命生きてきた。でもそれで得たものは何だったのか?  

いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ」 学生時代好きだった石川啄木の歌が、実感をもって心にしみた。  

暗い心の正体と希望の灯をを見つけた、あの日



そんなある夏の昼下がり、骨董品を買いに町へ出たが、なぜか店は閉まっていた。帰ろうとたまたま遠回りした街角で、仏教講座のポスターを見掛けた。 
「行ってみようかしら?」 
それが倉木さんと仏教との出会いだった。  

自分の半生を振り返っても、周囲を見ても、皆、暗い心に明かりをつけよう必死です。  
その明かりが消えないよう、継ぎ足し、継ぎ足ししていますが、いつかは全部消える定めです。  
仏教を聞き、暗い心の正体が分かると、趣味や生きがいなどでは本当には明るくならないことがハッキリします
」  

と語った。  

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今、倉木さんは、看護師として治る見込みのない患者とも多く接する日々を送っています。  

患者様の暗い心を理解してあげられるのも、その心に一筋の希望の灯をともせるのも、仏教を学んだなればこそなんですよ」と微笑んだ倉木さんの笑顔が忘れられない。  

(情報提供 浄土真宗親鸞会クロヨン)  

 ※プライバシー保護のため仮名にしております。。  

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