ボブ・ディランの『風に吹かれて』の歌詞の意味と背景にあるメッセージとは? ノーベル文学賞受賞を縁に感じたこと

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ボブ・ディランの名曲『風に吹かれて』のメッセージは今なお私たちの根本の問題に問いを発しています。その根本問題とは? 

_____________________________  

こんにちは。如何お過ごしでしょうか。  
浄土真宗親鸞会旅夫です。  

今年のノーベル文学賞ボブ・ディランに与えられ、驚きました。  

歌手としては初めての受賞で、賛否両論のようです。  

あなたはどうでしょう?  

ちなみに、私の周りにいる若い人は、彼の名前すらほとんど知らなかったみたいです。  

ちょっと残念。  

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『風に吹かれて』の歌詞の意味は?


さて、彼の代表曲  

風に吹かれてBlowin’ In The Wind)』  

は、ボブ・ディランが20歳(1962年)につくった曲です。  

今、彼は75歳ですから、55年愛され続けてきたことになります。  

「100年残る曲」とも評されているようですね。  

当時、アメリカで問題になっていたベトナム反戦運動公民権運動(黒人差別反対運動など)の中で、プロテスト・ソング抗議の歌)として、必ず歌われる歌となりました。  

(※本人は、プロテストソングではないと言っているようですが……)  

この曲は様々な人たちに愛唱され、この曲が発表された翌年、ピーター,ポール&マリー(P.P.M.)が歌って全米2位の大ヒットとなり、スティーヴィー・ワンダーが1965年にカバーし、R&Bチャート1位になりました。 
他にも、世界各地で歌い継がれています。  

その歌詞は問いかけであり、その問いは、抽象的なもの、1人の人間としてのもの、社会に対してのものなどであり、これらが織り交ざって一つの魅力を形づくっているといわれます。  

今日は、その歌詞の意味について考えたいと思います。  

歌詞の中で、特に強烈なのは、次のような強いメッセージでしょう。  

どれだけ砲弾が飛び交えば

永久に禁じられるんだ

How many times must the cannon bolls fly 

Before they’re forever banned? 

どれだけ知らないフリをして

顔を背けるんだ

How many times a man turn his head    

Pretending he just doesn’t see?     

どれだけ耳があれば

悲しみが聞こえるんだ

How many ears must one man have  

Before he can hear people cry?       

どれだけの人が死んだら

あまりにも多すぎると気づくんだ

How many deaths will it take till he knows

That too many people have died?      

友よ 答えは風に吹かれて

風に吹かれている

The answer, my friend, is blowin’ in the wind 

The answer is blowin’ in the wind 

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作詞: Bob Dylan

Blowin’ in the Wind 歌詞 c Sony/ATV Music Publishing LLC

(日本語拙訳 旅夫)

歌詞に込められたメッセージと今に共通する根本問題とは



あなたは、この歌詞を読まれてどんなことを感じられましたか?  

詩の受け止め方は人それぞれだと思いますが、ボブ・ディラン本人は、1962年に雑誌『シング・アウト!』の中で、こう語っています。  

(答えは)紙切れみたいに、いつかは地上に降りてこなきゃならない。

でも、折角降りてきても、誰も拾って読もうとしないから、誰にも見られず

理解されず、また飛んでいっちまう。

世の中で一番の悪党は、間違っているものを見て、それが間違っていると

頭でわかっていても、目を背けるやつだ。

俺はまだ21歳だが、そういう大人が大勢いすぎることがわかっちまった。

あんたら21歳以上の大人は、だいたい年長者だし、もっと頭がいいはずだろう

(出典:『Sing Out!』 September 1965, quoted in Shelton, p. 313.)


ボブ・ディランは淡々と歌いながらくり返し「どれだけ必要なんだ」「どれだけなんだ」と訴えています。  

そのメインの内容は、  

戦争」であり、「人の死」ではないでしょうか。  

『風に吹かれて』をカバーした、スティービー・ワンダーは、この歌についてこう語っています。  

60年代のベトナム戦争。

70年代のウォーターゲート事件。

80年代の反アパルトヘイト。

90年代の湾岸戦争。

この歌が歌われ続けることの背景にあるものが、僕には悲しい。

(出典: そして音楽が始まる 『風に吹かれて』~ボブ・ディラン テレビ東京系)
この歌が歌い続けられるその背景にあるもの、  

そこに視点を置いたとき、スティービー・ワンダーの言葉が語る「僕には悲しい」の重みを感じます。  

そしてその後も、  

湾岸戦争

同時多発テロ

IS

などなど、問題は続いていきます。  

もちろん戦争だけではありません、  

いじめなどによる自殺

介護殺人

無差別殺人

ドメスティックバイオレンス

過労死

など、これらの根っこにも同じ問題があります。  

その根っこは、  

命が軽んじられている」  

ということではないでしょうか。  

命は尊厳なもの



人命は地球より重い」  

といわれながら、紙屑のように捨てられてしまう現実。  

簡単に「人生に意味なんかない」などという人もありますが、それが一体、何を意味するのか分かってのことでしょうか?  

   

どれだけ知らないフリをして

顔を背けるんだ

どれだけ耳があれば

悲しみが聞こえるんだ


と私も言いたい。  

どんなに苦しいことがあっても、

人生には確かに意味がある、目的がある。

このために人間に生まれてきたと喜べるときがくる。

生命は尊厳で、地球より重いものなんだ。

人生の目的を達成すれば、「人間に生まれてよかった」と心から喜べる。

このための人生だったのかと満足できる。

なぜ、そういえるか?  

その根拠を教えられたのが仏教なのです。  



(情報提供 浄土真宗親鸞会の講師 旅夫)浄土真宗親鸞会とは?→お知りになりたい方は、ここをクリック

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