村上春樹と無意識の再発見 新作『騎士団長殺し』をちょっと深読み内容解説

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 5

村上春樹の最新作『騎士団長殺し』の全編に漂うもの

今日は前回の記事の続きで、「無意識」という視点から深読み解説していきます。 

【解説付】村上春樹『騎士団長殺し』あらすじと、読者の感想や反応まとめ!最小限のネタバレあり
村上春樹の新作『騎士団長殺し』(新潮社)の絶賛感想・酷評感想・中立感想・感想番外編や「第1部 顕れるイデア編」のあらすじ「第2部 遷ろうメタファー編」のあらすじ、評価、批評、解説、名セリフなど網羅的で深読みも含めた超まとめ記事です。ネタバレは少しありますが結論までは言及していませんのでご安心ください。
(前回の記事)  

村上春樹最新作騎士団長殺し』では、「現実と非現実の境界があいまい」という感覚が全編に漂っています。  



これは村上春樹が得意とする意識無意識の領域(現実と夢・存在と非存在)を行き来するような物語の描き方です。  

村上春樹自身が『職業としての小説家』などで何度も語っていることですが、彼が物語を書くとき、自身の心の奥底に下りていくそうです。  
それは 心の闇の底に下降していくことだといいます。  
その暗闇には、迷路のようで地図もなく、危険なものごとが満ちている。  

そこに混沌(こんとん)としているものを拾い集めて現実に戻り、それが材料というか養分というかそういったものとなり、それを文章という形あるものに変えていくのだとも語っています。 



村上春樹の過去の作品に見る「無意識」



村上春樹の過去の作品を見ても、そのことが様々な形で表れています。  


例えば、『海辺のカフカ』のタイトルからしてそうです。  



無意識の領域、  

陸地は、意識の領域。  

海辺は、無意識(潜在意識)と意識とのはざま(境界線)を意味しています。  



ノルウェイの森』  



の「」も無意識の象徴ですし、  


ねじまき鳥クロニクル』  


など、色んな作品に繰り返し出てくる「井戸」もそうです。  


村上春樹が敬愛する、河合隼雄(日本の著名な心理学者)との対談でも、こう語っています。  
「井戸」を掘って掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずのない壁を越えてつながる、というコミットメントのありように、ぼくは非常に惹かれたのだと思うのです。 

村上春樹、河合隼雄に会いに行く』河合 隼雄 (著), 村上 春樹 (著) 新潮社





今回の『騎士団長殺し』でも、無意識の象徴ともいえる  

雑木林  

祠(ほこら)  

屋根裏  

夢  

絵  

といったものが繰り返しでてきます。  




無意識の「再」発見

無意識についてもう少しお話ししましょう。  
先ほども紹介した河合隼雄は、フロイト、ユングは無意識を発見したのではなく“再発見”した、と語っています。  


(左:フロイト 右:ユング) 


フロイトユングアドラーなどの深層心理学無意識の研究は20世紀になされたものですが、実は2600年も前に、仏教意識下の心について詳しく説かれているのです。  

つまり、仏教で説かれた深層心理を西洋に紹介したのがフロイトユングといった人たちなので、大発見といわれる彼らの業績は「発見」ではなく「再発見」なのです。  

特にユング仏教に傾倒し、お釈迦さまが説かれた『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』というお経についてまるまる一冊の本を書いているほどです。  

インドで説かれたその内容は『西遊記』で有名な玄奘三蔵(げんじょうさんぞう・一般に三蔵法師ともいわれる)が中国に伝えました。  

今日は専門的につっこんだ話はいたしませんが、意識の奥底に蔵のような心があって、それが私たちの本心だと仏教で教えられています。 

(※この本心を専門用語で「阿頼耶識(あらやしき)」といいます。アラヤとはサンスクリット語で「」という意味です。  ちなみにガンダムが好きな人は「阿頼耶識システム」という言葉がすぐに頭に浮かんだこでしょう。)    


「上の心」と「下の心」

つまり、フロイトやユングよりもずっとずっと前に、どんな人にも「上の心」と「下の心」があると仏教で教えられていたのです。  

そして、その下の心が暗くて孤独であるかぎり、いくら上の心で楽しもうとしても本心から楽しめないし、安心できないと説かれています。  


例えば、人間には五感といわれるものがあり、それぞれに好き嫌いがあります。  

五感とは、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚です。 
日ごろ、求めている幸せは、これらを楽しませることによって得られます。  
こららはみな「上の心」の領域です。  

視覚なら、美しいものを見て楽しむ。 
例えば、絶景に心奪われる、素晴らしい絵を眺める、など。  




聴覚は、音を楽しむ。 
素敵な音楽を聴くとか、せせらぎに癒されるとか。  




嗅覚なら、香りを楽しむ。 
香水や、アロマテラピーなど。  



味覚は、味わい。 
ごちそうに舌つづみを打つとか、高級酒を味わうとか。 



触覚は、触れ心地のよさ。 
絹のような肌ざわりや、頬ずりしたいようなやわらかなクッションで感じる気持ちよさ、など。  



どれもこれもいいものですよね。  

なぜ心から満足できないのか

ところが残念なことに、これらの喜びはずっと続くものではありません。 
いわゆる「飽き」がくる。  



感動の景色も、そこに引っ越して毎日見られるようになると当たり前に感じられてしまう。 
同じ音楽をずっと聞き続けると苦痛になってきて、他のものを聞きたくなる。 

村上春樹の新作騎士団長殺し』の中にも主人公のこんな気持ちが書かれてありました。  


何かが───胸の中に燃えていた炎のようなものが───私の中から失われつつあるようだった。 
その熱で身体を温める感触を私は次第に忘れつつあった
。 

『騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編』村上春樹(新潮社)

主要な登場人物のこのようなセリフもありました。

「自分という存在の意味が、自分がこうしてここに生きていることの理由が、今ひとつよくわからなくなってきました。 
これまで確かだと見なしていたものごとの価値が、思いもよらず不確かなものになっていくみたいに」  

「私はそのときふとこのような思いを持ったのです。 
この世界で何を達成したところで、どれだけ事業に成功し資産を築いたところで、私は結局のところワンセットの遺伝子を誰かから引き継いで、それを次の誰かに引き渡すためだけの原義的な、過渡的な存在にすぎないのだと。 
その実用的な機能を別にすれば、残りの私はただの土塊(つちくれ)のようなものに過ぎないのだと」


  『騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編』村上春樹著 新潮社  
もちろん、上の心で感じる幸せは必要ないとか、無い方がいいと言いたいわけではありません。 

五感は大切にしたいものです。  

ただ、 

「何をしても、何かが足らない」 

「一つのプロジェクトを成し遂げたのに、今はポッカリ胸に穴があいてしまったみたいだ」 

「生きている実感がもてない」 

「なぜかフト空しくなる」 


などと感じてしまうことがあれば、五感を楽しめる質や量に問題の本質があるのではなく、 下の心にこそ真の問題が潜んでいると仏教で教えられています。  





下の心こそ大切


下の心が幸せにならない限り、どれだけ上の心を楽しませても一過性で終わってしまう。  
ですから、下の心について学ぶことこそが重要になってくるのですね。 


心の底からの喜び。  

人間に生まれた本当の幸せ。  

それは、下の心が明るくなってこそ得られるものだと仏教で説かれています。  

つまり、下の心である本心とは何か、下の心がどうしたら幸せになるのかを専門に教えたのが仏教だということです。  
詳しくはまた別の機会にして、今日はここまでとしますね。  






今後もこのサイトでは、今日の話の続きネット上でもあまり知られていない情報を、できるだけ分かりやすい形でお届けしていきたいと思っております。 
更新情報を知られたい方は、RSS登録がお勧めです。 
RSS登録は、記事の下の「シェアする」のさらに下にある「フォローする」というところにあります。  

RSS登録については、こちらの記事に分かりやすく書かれてあります。
オンラインのRSSリーダーとして人気のFeedlyを使ってみましょう。SNSを使ったログイン方法や、Feedlyボタンがないサイトを登録する方法もご紹介しています。
あなたは、自分の業界情報や気になる情報をどうやって収集しますか?ブログやニュースサイトを毎日巡回する方は多いですが、RSSリーダーを使った方が効率的です。今回は、人気のRSSリーダーFeedlyの登録・設定方法、使い方を説明します。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする