清水富美加さん騒動から考える。宗教のモノサシって何だろう

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女優・清水富美加さんの「幸福の科学」職員へ転職という発表に、何となく「モヤモヤ感」をぬぐい切れない人も多いのではないでしょうか。 
その「モヤモヤ感」の正体は、もしかしたら私たちの「宗教に対するモノサシのあいまいさ」にあるかもしれません。 
今回は、そんなモヤモヤを解消してくれる仏教のシンプルな「モノサシ」を紹介します。 




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問題は、清水富美加さんではなく、私たちの側にある

 女優・清水富美加さんの「幸福の科学」へ「出家」というセンセーショナルな二ュースに多くの人が驚かされました。 
騒ぎを大きくした理由の1つは「人気女優」と「出家」という言葉のギャップにあったと思います。  

 しかし「出家」といっても実は「家を出て仏門に入る」のではなく「幸福の科学」の職員に転職するという意味らしい、ということが徐々に知られ、「なーんだ」ということで騒ぎは沈静化し、関心はゴシップ的な話題に移っているようにも見受けられます。  

 とはいえ、なぜ清水富美加さんはその生き方を選択をしたのか。むろん、どう生きるかは人それぞれで、信仰の自由ですから、それについて他人があーだ、こーだと言うべきことでも言われる筋合いも、ないでしょう。  

 だからここから先の問題は、清水富美加さんではなく、私たちの側にあります。  

 つまり、この騒動に対して、私たちはどんな感想を持てばいいのか。 
「よかったね」なのか「仕方ない」なのか「宗教ってこわい」なのか。 
そんなモヤモヤした感情が残った人が結構あるのではないでしょうか。  

 その「モヤモヤ感」の原因の一つに、日本人の宗教に対する「モノサシのあいまいさ」があるような気がします。 
 宗教といえば「何となく危ないもの」あるいは「自分とは関係ないもの」としてずっと目を背け続けてきた。 
したがって宗教に対する自分なりの明確な「モノサシ」を持たないまま、大人になってしまった。  

 そんな多くの日本人の「あいまいな宗教観」を直撃したのが、今回の清水富美加さん騒動だったといえるかもしれません。  

 そこで今回は、宗教の「モノサシ」ということについて、ちょっとまじめに考えてみたいと思います。  

三角形を3つのグループに分ける小学生の授業


 まず初めに「モノサシの効用」を、一つの事例を通してみてみましょう。  

 ある小学3年生の算数の授業で、先生が、こんな問題を出しました。  

「ここに、いろいろな形をした三角形が9つあります。これを、3つのグループに分けて、それぞれ分けた理由を書きましょう」  生徒たちは、思い思いにグループ分けをしていきます。  

 ある生徒は「大きい三角形」「小さい三角形」「細長い三角形」という分け方をしました。  

 またある生徒は「三角すぎる三角形」「すごい三角形」「傾いた三角形」という分け方をしました。(この言語感覚には、いいね!をあげたい)  

 そこで、先生が言いました。  

「同じ9つの三角形なのに、人によって分けが異なりましたね。これでは困ってしまいます。でもじつは、誰が分けても同じ分け方になる、方法があるんです」  

 そう言って先生は、三角形のどこに注目すればいいのかを教えました。  

「それは、三角形の辺の長さです」 

 3辺の長さが同じものは「正三角形」 




 2辺の長さが同じものは「二等辺三角形」 




 どの辺の長さも違うものは、「それ以外の三角形」 






 この「辺の長さがいくつ同じか」という「モノサシ」を知ったことで、それまで人それぞれ、ばらばらに分けていた三角形が、見事に、誰が分けても同じ分け方になりました。  

 子供たちが一つ、賢くなった瞬間でした。  

 さて、宗教の場合はどうでしょう。
 世の中にはたくさんの宗教がありますが、三角形の「辺の長さ」にあたるような、誰が分けても同じになる「モノサシ」はあるのでしょうか。

 じつは、あります。

そして意外に思われるかもしれませんが、多くの日本人は、おそらく無意識に、その「モノサシ」をすでに持っていると思います。  

 なぜそう考えられるかといいますと、日本の文化の根底には、仏教思想があるからです。 
そのため私たちは、知らず知らず、そのシンプルな仏教のモノサシを獲得し、そのモノサシで物事の是非を判断している、と考えられるわけです。  

仏教のシンプルな「モノサシ」とは?



 では、そのシンプルな「モノサシ」とは何かといえば、「因果の道理」です。  

 因果の道理は「原因と結果の道理」ということで、仏教の根幹となっている教えです。  

 道理とは「古今東西、変わらないもの」。 
何千年前も、今も、何千年後も変わらない。 
また、日本でもアメリカでも中国でも、どこの国でも変わらない。それが、道理です。仏教の言葉では「三世十方(さんぜじっぽう)を貫く」といいます。 



 それは
「どんな結果にも必ず原因がある。原因なしに起きる結果は絶対にない」
という道理です。  

 こう聞いて、「そんなの当たり前でしょう」と思われるとすれば、あなたの根底に、すでに仏教の「モノサシ」があるからです。  

 例えばキリスト教では、これは当たり前にはなりません。因果の道理から出てくるのが「自業自得(じごうじとく)」(自分の行為が、自分の禍福を生み出す)という教えですが、これも西洋にはない考え方です。  

 この「結果には必ず原因がある」「自業自得」といった「モノサシ」を持つと、例えば「奇跡」や因果律に反する「神秘的な話」に対して「何かあやしい」「信じて大丈夫かな」という反応を、ピピピッと示すことになります。  

 言い換えると、もしあなたが「奇跡」やその他の「神秘的な話」に対して「何か違和感を感じる」としたら、それはたぶん、あなたがすでに「因果の道理」という「モノサシ」を持っているからです。それは、すごく有利な状況だと思います。  

 この「因果の道理」という「モノサシ」の素晴らしさは、いろいろありますが、第一に、「道理」という言葉が示すとおり、この「モノサシ」が三世十方を貫いて変わらない、ということにあります。 
 いつの時代、どこの国でも通用するのですから、非常に安心できる「モノサシ」といえるでしょう。 

 この「モノサシ」を元にして、世界に目を向けてみると、ちょうど9つの三角形がきれいに3つに分けられたように、モヤモヤしていた視界が、すっきりクリアになることに感動すると思います。 

 詳しくは、ぜひ勉強会で学んでみてください。  

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